今日でサラリーマン生活は終わりです。
うーん、爽快。
残務、引き継ぎ、片付けの他、いったん関係の区切りとなる人々から寄せてもらう言葉、気持ちに対して、私が残せることを考える今週。
私の中では、つながりが切れるわけじゃないから、別にセンチじゃないんだけど。
センチになられるとむしろ困るわ。
でも、あまり絡まなかった後輩に、潤滑油の役割と認識してもらってたことは嬉しかったな。
サラリーマン辞めても、この潤滑油スキル(笑)、どこかで使えるといいな。
実はこの会社ではものすごく専門性の高い、技術的なスキルを使っていたのだが、今後のキャリアでそれが活かされることは考えづらい。
そんな難しいこと、あんまり必要ないんだよね。世の中。
潤滑油とか、優先順位をつけたり判断をして「仕事をまわす」こと自体が、普遍的で上司から求められるスキルであって、長いこと仕事してきた証のようなもの。
これは、この先どんな働き方をしても使えると期待してるんだ。
専門スキルも、埋もれさすのはもったいない気もするけどね(*_*)
2008年03月19日
2008年01月11日
キャリアアップといえば母の存在
母親が「手に職」系の人で、父が転勤してもついていって再就職を繰り返し、ずっと働いてきたことは私には大きかった。今も彼女は働いているし、私よりもダーリンよりも年収はいいと思う。
母は57歳。友達のママで、その年まで現役な人って珍しい。ママの友達も、働き続けている人はまれだという。
母は、仕事が好きというより、家庭のために仕事をしてきたところはある。
私たちに好きなものを買ってあげたいとか、おいしいものを食べたいとか、老後は自分でなんとかしたいとか、自分の老親に仕送りしたいとか。
私がある程度大きくなり話が通じるようになってからは、職場の愚痴のような話はよく聞いた。
さすがに、再就職を繰り返すと条件が悪くなるようで、待遇とかよりも職場環境や人間関係が悪くなっていくそうだ。
職場の人間関係ストレスに極めて弱い妹ならまずすぐに辞めるような環境だと思うし、私でもたぶん辞めてると思う。
でも母は偉い人なので、特別な事情がなければ辞めないし、そんな職場内で頼られる存在になってしまってるらしい。
そんな母の存在があって、私は新卒のときから、手に職がなければ「使えないやつ」と思われてしまうという気持ちが強かった。
今考えると、大学を出たばかりのときは目に見えるスキルより意欲のほうが大事と見なされるのだが、当時は本当に自分に自信がなく、意欲もどうやって持っていいかわからなかったのだ。
今は少し採用戦略に関わったりするので知っているのだが、人事の人はポテンシャルといって、課題解決能力とか、コミュニケーションとか、処理能力とか、チーム形成力とかそういうのを見るんだよ。当時の私、そんなの全然表現できてなかったな。
課題解決能力とかチーム形成力なんて、仕事していく上で、「あー私ってこんなこともできるんじゃん」と気づいていく能力って気がするけど。
ちなみに母自身も、本業看護婦さんなのに、シナリオライター教室にいったり、グラフィックデザインとかやってみたがったり、もっと若いときはエアロビやったりしてました・・・ってこれはキャリアアップじゃないかな。
一番えらいなーって思ったのは7・8年前に、ケアマネージャーの資格を取ったとき。だってもう50過ぎてたんだよ。
でもその後医療界から介護界に転身して、そこのあまりの環境の悪さに1年で戻ってきました。
もったいない〜。
母は57歳。友達のママで、その年まで現役な人って珍しい。ママの友達も、働き続けている人はまれだという。
母は、仕事が好きというより、家庭のために仕事をしてきたところはある。
私たちに好きなものを買ってあげたいとか、おいしいものを食べたいとか、老後は自分でなんとかしたいとか、自分の老親に仕送りしたいとか。
私がある程度大きくなり話が通じるようになってからは、職場の愚痴のような話はよく聞いた。
さすがに、再就職を繰り返すと条件が悪くなるようで、待遇とかよりも職場環境や人間関係が悪くなっていくそうだ。
職場の人間関係ストレスに極めて弱い妹ならまずすぐに辞めるような環境だと思うし、私でもたぶん辞めてると思う。
でも母は偉い人なので、特別な事情がなければ辞めないし、そんな職場内で頼られる存在になってしまってるらしい。
そんな母の存在があって、私は新卒のときから、手に職がなければ「使えないやつ」と思われてしまうという気持ちが強かった。
今考えると、大学を出たばかりのときは目に見えるスキルより意欲のほうが大事と見なされるのだが、当時は本当に自分に自信がなく、意欲もどうやって持っていいかわからなかったのだ。
今は少し採用戦略に関わったりするので知っているのだが、人事の人はポテンシャルといって、課題解決能力とか、コミュニケーションとか、処理能力とか、チーム形成力とかそういうのを見るんだよ。当時の私、そんなの全然表現できてなかったな。
課題解決能力とかチーム形成力なんて、仕事していく上で、「あー私ってこんなこともできるんじゃん」と気づいていく能力って気がするけど。
ちなみに母自身も、本業看護婦さんなのに、シナリオライター教室にいったり、グラフィックデザインとかやってみたがったり、もっと若いときはエアロビやったりしてました・・・ってこれはキャリアアップじゃないかな。
一番えらいなーって思ったのは7・8年前に、ケアマネージャーの資格を取ったとき。だってもう50過ぎてたんだよ。
でもその後医療界から介護界に転身して、そこのあまりの環境の悪さに1年で戻ってきました。
もったいない〜。
2008年01月05日
キャリアの階段、明けてもまだ振り返る2
いやー、お勤めマザーは、聞きしに勝る大変さであった。
職場が遠い、保育園も駅から遠くて坂の下、という環境要因もつらかったが、まず会社の中には「働くお父さん」と「独身者」しかいたことがなく、すべてがその基準での動きになるので最初はまったくペースが合わせられなかった。
もともと、席にいたりいなかったりするいろいろなメンバーで分担してプロジェクトを進めることの効率をあまり追求しない職場だったので、そのあたりは大きな声をあげて、誰かが先に帰っても仕事が回るようなやり方を導入したり。
でも、毎回毎回「○曜日は早く帰ります」と言わなければ遅い時間の会議が設定されたり、無理なスケジュールが引かれたりするのに疲れて、半年後の育児休暇復帰給付金をもらったのを機に時短にしてもらった。
この交渉も果てしなく面倒くさく、正社員のままでは認めてもらうのに労力がかかりすぎるため、契約社員でいいと言ったら給与額がものすごく減った。
会社には一線をひいて、自分のやりたいことのために時間を作ろうと一線を引いたわけだが、待遇が下がっただけで責任も仕事量も変わらず、同時に会社へのモチベーションは徐々に低下していった。
この頃また妊娠をしたので、フェイドアウトしていこうと思っていたら、流産してしまった。
上司は「仕事のことは気にしなくていいからしばらくゆっくりして」と配慮を見せたわりに、入院中仕事の件で電話をしてきたり、退院後も結局たまった仕事や新人の世話などまわってきたり、欠勤していた理由をほかのメンバーに告知しといてくれず、自分で説明しなければならなかったりということが続いた。
流産自体は大ごとではなかったのだが、この会社でがんばることはもうできないと決め、安定収入を捨て、新しい道の準備を始めた。
ものすごく細かなことでもこちらから申し出なければ何の配慮もされない、まー職場ってそんなもんとは思うのだが、ワークライフバランスでいうところの「ワークが一番大事」という前提の会社は働きやすいとは言えない。
だってさ、私はライフが一番、ワークは僅差でも二番だもん。
これから仕事に熱くなって、同点一位はあるかもしれないけど、ライフが二番以下になることはない。
という感じで、お勤めマザーはもうすぐ終了予定。
職場が遠い、保育園も駅から遠くて坂の下、という環境要因もつらかったが、まず会社の中には「働くお父さん」と「独身者」しかいたことがなく、すべてがその基準での動きになるので最初はまったくペースが合わせられなかった。
もともと、席にいたりいなかったりするいろいろなメンバーで分担してプロジェクトを進めることの効率をあまり追求しない職場だったので、そのあたりは大きな声をあげて、誰かが先に帰っても仕事が回るようなやり方を導入したり。
でも、毎回毎回「○曜日は早く帰ります」と言わなければ遅い時間の会議が設定されたり、無理なスケジュールが引かれたりするのに疲れて、半年後の育児休暇復帰給付金をもらったのを機に時短にしてもらった。
この交渉も果てしなく面倒くさく、正社員のままでは認めてもらうのに労力がかかりすぎるため、契約社員でいいと言ったら給与額がものすごく減った。
会社には一線をひいて、自分のやりたいことのために時間を作ろうと一線を引いたわけだが、待遇が下がっただけで責任も仕事量も変わらず、同時に会社へのモチベーションは徐々に低下していった。
この頃また妊娠をしたので、フェイドアウトしていこうと思っていたら、流産してしまった。
上司は「仕事のことは気にしなくていいからしばらくゆっくりして」と配慮を見せたわりに、入院中仕事の件で電話をしてきたり、退院後も結局たまった仕事や新人の世話などまわってきたり、欠勤していた理由をほかのメンバーに告知しといてくれず、自分で説明しなければならなかったりということが続いた。
流産自体は大ごとではなかったのだが、この会社でがんばることはもうできないと決め、安定収入を捨て、新しい道の準備を始めた。
ものすごく細かなことでもこちらから申し出なければ何の配慮もされない、まー職場ってそんなもんとは思うのだが、ワークライフバランスでいうところの「ワークが一番大事」という前提の会社は働きやすいとは言えない。
だってさ、私はライフが一番、ワークは僅差でも二番だもん。
これから仕事に熱くなって、同点一位はあるかもしれないけど、ライフが二番以下になることはない。
という感じで、お勤めマザーはもうすぐ終了予定。
2008年01月04日
キャリアの階段、明けてもまだ振り返る
育児休暇中が、キャリアの階段の、中2階みたいな感じ。
入社して1年の会社を、産休と合わせて1年8ヶ月も休んだ。
本当は復帰をせずに、そのまま起業したいと思って、子連れでいろんなところに出かけていった。
一緒に起業をめざすことにしたパートナーもできた。
少しずつ計画は形になってきた。
まずはカウンセリングの勉強会を主催することで、サービスの提供側に立ってみること、ニーズ発掘やコンセプト設計などを行い、なんと実母から100万円の融資を受け、さあ始めようという矢先。
パートナーの都合で計画は頓挫! ・・・というか無期延期ですね。
まだ時期尚早という神様のお告げか?
育児休暇を取らせてもらった恩もあるし、保育園もあるし(フリーだと入園が難しい)、いわゆるお勤めマザーの経験もしとくに越したことはないので、一度会社に戻るか。。。
となったのが31歳の1月。
だけどこの期間に、得たものは大きかった。
自分がやっていきたい方向性を考えることもできたし、本物の、「使える人脈」ができたり、人に教える立場にまわることで知識の整理とプレゼンのスキルも、多少意識することができた。
母になって今までと違った目で世の中を見るようにもなった。
30歳の節目に、ビジネス人生でもひとつ上のステージにきたのかな。
入社して1年の会社を、産休と合わせて1年8ヶ月も休んだ。
本当は復帰をせずに、そのまま起業したいと思って、子連れでいろんなところに出かけていった。
一緒に起業をめざすことにしたパートナーもできた。
少しずつ計画は形になってきた。
まずはカウンセリングの勉強会を主催することで、サービスの提供側に立ってみること、ニーズ発掘やコンセプト設計などを行い、なんと実母から100万円の融資を受け、さあ始めようという矢先。
パートナーの都合で計画は頓挫! ・・・というか無期延期ですね。
まだ時期尚早という神様のお告げか?
育児休暇を取らせてもらった恩もあるし、保育園もあるし(フリーだと入園が難しい)、いわゆるお勤めマザーの経験もしとくに越したことはないので、一度会社に戻るか。。。
となったのが31歳の1月。
だけどこの期間に、得たものは大きかった。
自分がやっていきたい方向性を考えることもできたし、本物の、「使える人脈」ができたり、人に教える立場にまわることで知識の整理とプレゼンのスキルも、多少意識することができた。
母になって今までと違った目で世の中を見るようにもなった。
30歳の節目に、ビジネス人生でもひとつ上のステージにきたのかな。
2007年12月30日
キャリアを振り返る年末3
26歳で目標が決まった私は、ばんばん自分に投資した。
会社の制度も利用した。人材会社だけに、いろんな研修を自前で持ってる。キャリアカウンセリングに続き、シスアドの養成ってやつも出してもらった。
シスアドの資格は前から勉強してたけど、興味あるとこしかできないから、幅広く教えてもらえてよかった。
自分でも産業カウンセリングの勉強はずっと続けていた。
カウンセリングの研修だけで年間20〜30万は使ってたな。研修貧乏ね。ちょっとずつでも投資回収できるようになるのは数年後のお話。っていうかつい最近だし。
そのほか、ちょっと家族にも言えないくらい、いろんな投資をした。
たぶん全部で300万くらいかな・・・遠い目・・・
まるまるキャリアなり、何がしかの実になった、とは言いがたいのだが、まあ、今のところ借金もないし、いいか。
結婚は27歳の後半。
計画では人材会社であとちょっと我慢して、こどもを産んで、その機を逃さず起業しよっと思っていたのだが、まあ、いろんなことが起こった。
まず、組織変更でチームが現場よりに異動した。
ここでも好きなことやっていたけど、埋もれていく感じがして1年で異動願いを出し、本部のシステム部に移った。
基幹システムを新しくする大掛かりなプロジェクトで、それなりに要のおもしろい部分を担当したのだが、部内のめちゃくちゃ意地悪なプロパーの女性社員とやりあったり、本当には現場のためのものを作れない体質や、ちょっとした汚職があって、プロジェクト終了とともに退職した。
起業する前に、今度はベンチャーで経営の近くで専門スキルをもう少しあげるのもいいと思った。
ちょうど入社1年で産休。
ここで、社会人生活のキャリア第一幕はオワリ。
会社の制度も利用した。人材会社だけに、いろんな研修を自前で持ってる。キャリアカウンセリングに続き、シスアドの養成ってやつも出してもらった。
シスアドの資格は前から勉強してたけど、興味あるとこしかできないから、幅広く教えてもらえてよかった。
自分でも産業カウンセリングの勉強はずっと続けていた。
カウンセリングの研修だけで年間20〜30万は使ってたな。研修貧乏ね。ちょっとずつでも投資回収できるようになるのは数年後のお話。っていうかつい最近だし。
そのほか、ちょっと家族にも言えないくらい、いろんな投資をした。
たぶん全部で300万くらいかな・・・遠い目・・・
まるまるキャリアなり、何がしかの実になった、とは言いがたいのだが、まあ、今のところ借金もないし、いいか。
結婚は27歳の後半。
計画では人材会社であとちょっと我慢して、こどもを産んで、その機を逃さず起業しよっと思っていたのだが、まあ、いろんなことが起こった。
まず、組織変更でチームが現場よりに異動した。
ここでも好きなことやっていたけど、埋もれていく感じがして1年で異動願いを出し、本部のシステム部に移った。
基幹システムを新しくする大掛かりなプロジェクトで、それなりに要のおもしろい部分を担当したのだが、部内のめちゃくちゃ意地悪なプロパーの女性社員とやりあったり、本当には現場のためのものを作れない体質や、ちょっとした汚職があって、プロジェクト終了とともに退職した。
起業する前に、今度はベンチャーで経営の近くで専門スキルをもう少しあげるのもいいと思った。
ちょうど入社1年で産休。
ここで、社会人生活のキャリア第一幕はオワリ。
2007年12月28日
キャリアを振り返る年末2
キャリアアップの話までまだ長いな。
人材会社は仕事はおもしろかったし、人材ビジネスや労務などの知識や、研修講師やデータ管理のスキルが身についた。
たまたま本部の「偉い部署」に配属されたので、トップ方針と現場の板ばさみなんて貴重な経験もでき、社内の知人は増えた。
女性が多い会社だったので、いわゆるロールモデルとなる女性上司、先輩、仲良しの同僚、後輩にも恵まれたと思う。
会社としては業績も悪くなく、注目産業で、けっこうぬくぬく安穏とした環境ともいえた。
そんな中で、キャリア志向の先輩たちというのもたまにいて、最終的には次々に転職していくのは見ていて刺激的だった。
システムとカウンセリング、二つの方向性でどっちつかずだった私に、はっきりと言ってくれた人もいたのだ。
「27までには、キャリアのブロックは一つにしぼらなあかんよ(関西の人でした)」
差し迫る26歳で、キャリアカウンセラー養成の社内研修に飛びついた。
一応、悩んでいたんだな、今思うと。
キャリアカウンセラー養成というのは、自分のキャリアプランニングから始まるわけだが、ここで私は一つの答えにたどりつく。
「あ、システムとカウンセリング、どっちもやれる仕事自分でつくったらいいんじゃん」
これは、起業志向の最初の萌芽だった。
価値観の選択を自問していく中で、はっきりと、「結婚して愉快な家庭をつくる」っていうのがトップにきたんだよね。
そのためには、サラリーマンじゃだめで、家で好きなことをして稼ぐっていうビジョンがはっきりと浮かんだのだ。
ここから、独立に向けての具体的なキャリアアップが始まった気がする。
ふー長かった。前置きが。
でもこっからもまだ長い。
人材会社は仕事はおもしろかったし、人材ビジネスや労務などの知識や、研修講師やデータ管理のスキルが身についた。
たまたま本部の「偉い部署」に配属されたので、トップ方針と現場の板ばさみなんて貴重な経験もでき、社内の知人は増えた。
女性が多い会社だったので、いわゆるロールモデルとなる女性上司、先輩、仲良しの同僚、後輩にも恵まれたと思う。
会社としては業績も悪くなく、注目産業で、けっこうぬくぬく安穏とした環境ともいえた。
そんな中で、キャリア志向の先輩たちというのもたまにいて、最終的には次々に転職していくのは見ていて刺激的だった。
システムとカウンセリング、二つの方向性でどっちつかずだった私に、はっきりと言ってくれた人もいたのだ。
「27までには、キャリアのブロックは一つにしぼらなあかんよ(関西の人でした)」
差し迫る26歳で、キャリアカウンセラー養成の社内研修に飛びついた。
一応、悩んでいたんだな、今思うと。
キャリアカウンセラー養成というのは、自分のキャリアプランニングから始まるわけだが、ここで私は一つの答えにたどりつく。
「あ、システムとカウンセリング、どっちもやれる仕事自分でつくったらいいんじゃん」
これは、起業志向の最初の萌芽だった。
価値観の選択を自問していく中で、はっきりと、「結婚して愉快な家庭をつくる」っていうのがトップにきたんだよね。
そのためには、サラリーマンじゃだめで、家で好きなことをして稼ぐっていうビジョンがはっきりと浮かんだのだ。
ここから、独立に向けての具体的なキャリアアップが始まった気がする。
ふー長かった。前置きが。
でもこっからもまだ長い。
2007年12月27日
キャリアを振り返る年末
キャリアアップをまじめに考えるようになったのは、仕事が面白くなってきた20代半ば。
いやもっと前から意識はしていた。
なぜなら、まともに就職活動しなかった負い目から・・・。
かれこれ10年前、なぜかわからないけど、就職活動の波にはまったく乗り遅れた。
例の、ハガキの束がうちにだけ送られてこなかったのだ、まじな話。
それですっかりタイミングを逃したのと、なんかそれで慌ててがつがつ就活するほど、やりたいことってよくわかんないなあってのが正直なところで。
今と違って、就職氷河期といわれ3年くらいたったとこで、ちょうど「必死こいて大きい会社入ってもそれでシアワセになんかなれないじゃん」みたいなムードもあったんですね。
専攻もあまり実社会と縁がない内容だったし、っていうかみんなそうなんだけど、社会には出たかったけどどういう道筋がいいか、決められなかったんですね。
そこで、とりあえず大学4年の最後のほうは貯金でPCスクールに入って資格を目指すことにした。
ややハイレベルなPCスクールに通うが狙った資格が
見当はずれだったらしく、散在するも取れず
↓
卒論提出後、PCサポートのベンチャーで高時給アルバイト
とりあえずOA周りのこととAccessは仕事で使えるようになる
↓
24歳で、第二新卒として大手人材会社に入社
ここでは新卒として入るよりも、だいぶ面白い仕事をさせてもらえた。
やっぱ年齢に比して、PCデキルとか、データベースワカルとかは強かった。
加えて、専攻の心理学があきらめきれずにカウンセリングも勉強していたので、コミュニケーションスキルありと見なされたのもラッキーだった。
いやもっと前から意識はしていた。
なぜなら、まともに就職活動しなかった負い目から・・・。
かれこれ10年前、なぜかわからないけど、就職活動の波にはまったく乗り遅れた。
例の、ハガキの束がうちにだけ送られてこなかったのだ、まじな話。
それですっかりタイミングを逃したのと、なんかそれで慌ててがつがつ就活するほど、やりたいことってよくわかんないなあってのが正直なところで。
今と違って、就職氷河期といわれ3年くらいたったとこで、ちょうど「必死こいて大きい会社入ってもそれでシアワセになんかなれないじゃん」みたいなムードもあったんですね。
専攻もあまり実社会と縁がない内容だったし、っていうかみんなそうなんだけど、社会には出たかったけどどういう道筋がいいか、決められなかったんですね。
そこで、とりあえず大学4年の最後のほうは貯金でPCスクールに入って資格を目指すことにした。
ややハイレベルなPCスクールに通うが狙った資格が
見当はずれだったらしく、散在するも取れず
↓
卒論提出後、PCサポートのベンチャーで高時給アルバイト
とりあえずOA周りのこととAccessは仕事で使えるようになる
↓
24歳で、第二新卒として大手人材会社に入社
ここでは新卒として入るよりも、だいぶ面白い仕事をさせてもらえた。
やっぱ年齢に比して、PCデキルとか、データベースワカルとかは強かった。
加えて、専攻の心理学があきらめきれずにカウンセリングも勉強していたので、コミュニケーションスキルありと見なされたのもラッキーだった。